羽太信子

羽太信子 
1888 - 1962年
本名:羽太信子(はぶとのぶこ)東京出身。周作人の妻。染物職人の羽太石之助の家に五人兄弟の長女として生まれた。家は貧しく若いうちからホテルの下女として働いた。1908年4月、周樹人(魯迅)、周作人ら5人が夏目漱石が以前住んでいた家を借りて共同生活を始めた。家は5人の家という意味で「伍舎」と称した。その際、羽太信子は家の賄いとして雇入れられた。やがて歳が近い周作人に見初められて相思相愛の関係となり、1909年に羽太信子は周作人と結婚した。

1911年、周作人は羽太信子を伴い帰国し、紹興の家に移り住んだ。1912年、羽太信子は第一子(周豊一)を妊娠し、弟重久、妹芳子に出産を手伝わせるため紹興に呼び寄せた。その後、重久は日本に帰ったが、1914年芳子は周作人の弟・周建人と結婚した。

1919年、魯迅が北京八道湾の家を購入した。義母の魯瑞や義弟の周建人の一家と共に北京に移住した。1923年7月、羽太信子は魯迅との間で不和が起き、魯迅は八道湾の共同住宅を退出した。1962年、羽太信子は北京大学医院で病没した。


仙台魯迅研究会

本会は、仙台における魯迅の記録調査のほか、研究者のネットワーク化、研究資料の整理と保存、学習会の開催などの活動を行っています。
  1. ≪外部リンク≫
  1. WEBシステム: 瑞京合同会社
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