周建人

周建人 
1888年 - 1984年
本名:周建人(しゅうけんじん)紹興出身。魯迅(周樹人)と周作人の弟。1888年、都昌坊口の周家で生まれた。二人の兄が南京で学んだ後に日本に留学したが、周建人は一人残された母を想い紹興に留まった。1905年、紹興僧立小学の教師になった。この時期、植物などの生物学を一人で研鑽し、《会稽山採物記》などを編集した。1909年以降、帰国したばかりの兄・周樹人の活動などに参加した。この頃、紹興小学、紹興明道女校、成章女校で教師をしていた。1914年、嫂(兄周建人の妻)の妹である羽太芳子と結婚した。

1919年、周建人は母魯瑞と共に兄たちを追って北京に転居した。1920年には北京大学で哲学を聴講しながら、生物学などの記事を雑誌『新青年』などで発表。この他、仕事はしなかった。1920年、兄・周作人の協力で上海商務印書館の編訳所で編集の仕事に就いたが、北京に残した妻の羽太芳子は姉・信子たち親族との生活を望んだため離別した。上海では雑誌による科学知識の普及に努めた。さらに同じ紹興出身の女性活動家秋瑾(1875-1907年)を尊敬していたこともあり「婦女解放」を提唱した。 1923年、瞿秋白の要請で上海大学においてダーウィンの「進化論」を講演した。その後に神州大学、上海暨南大学、安徽大学で教授に就いた。私生活では1925年頃に王蘊如と再婚した。

1945年、上海で中国民主促進会の設立に参加。1948年、共産党に入党。1949年には第1回中国人民政治協商会議( 政協 )の全体会議において、中国民主促進会の代表として政府組織法草案に関わった。その後、中央人民政府で出版総署副署長、高等教育部副部長、浙江省人民政府副主席の要職を歴任し、1958年から1967年まで9年間浙江省省長を務めた。1984年、北京で96歳の生涯を終えた。


仙台魯迅研究会

本会は、仙台における魯迅の記録調査のほか、研究者のネットワーク化、研究資料の整理と保存、学習会の開催などの活動を行っています。
  1. ≪外部リンク≫
  1. WEBシステム: 瑞京合同会社
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